(株)ワンコンシスト
CEO(最高経営責任者)兼CMO(最高マーケティング責任者)
2022年10月中旬、フラッと現れ勝手に経営改革を始め現在に至る。
こんにちは。大西です。
今日は私の若い頃の話を少し。
大学卒業後にイベント企画制作会社に入社し
初めて主担当として、自分で企画というか実施計画から制作、現場運営までやらせてもらった
今でも忘れられない案件があります。
確か2000年か2001年だったかと思います。
神奈川県にある広大な敷地の野外公園での
鉄道会社のファミリー向け感謝祭みたいな
運営スタッフも200名以上、様々なスポーツ系の体験アイテムの手配、ルール策定、アスリートによる体験教室やキャラショーやステージイベントなど、盛り沢山のイベントでした。確か土日2日開催だったかなぁ。金曜仕込の。
商流は、
主催者→某広告代理店→当時の所属会社
だったかと思います。
実施計画書の作成から、何度もの会場下見、打ち合わせの連続、その度に資料作成、修正、更新、見積作成から予算管理。
運営スタッフの手配から様々なツールや備品手配、細かな制作物、準備物、購入物、お弁当手配、宿泊手配、シーバー、スタッフユニフォームから、ポスター、チラシ、のぼり、バナーの制作、景品、ノベルティの準備、スタンプラリーカードからメダル、賞状、MC、警備、アドバルーン、施工、音響、照明、映像機材、映像ソフト制作などなどなど。
殆どやった事のない中での100ページの運営マニュアル制作、報告書、参加者への事前案内、事後案内、事務局対応、雨天対策マニュアルなどなど…
兎に角、1人でほぼ全部やりました。
何から何まで…。
協力会社さんの事も管理しきれていないので、
周囲から総スカンを何度も食らいました。
効率も悪く、わからない事だらけで、
クライアントである超体育会系ラガーマンの
代理店おぢに何度も怒られまくりました…笑
当時の上司は、失敗しても良いから
兎に角1人でやり切れ!でした。
今思うと本当に感謝しかありません。
とはいえ、当時は右も左もわからない若造。
気合と根性だけで食らいついた感じでしたね。
食らいつききれていなかったですけど…笑
若いので体力だけはあり、何度も何度も徹夜しましたが、それ自体は大して苦ではありませんでした。
ただ、頭が追いついていないので
効率も悪く、期限までに成果物を上げられないなどもあり、今思うと、お金をもらいながら、多くの方に迷惑かけて、サポートしてもらいながら、勉強させてもらった感覚。
現在のビジネスのあり方では
珍しい形かもしれませんね…笑
イベント自体は、多くの諸先輩方の支えのお陰で
何とか終える事が出来ましたが、
不眠不休で現場を迎えた私は、
運営統括でありながらも、
死んだイカのような目をしながら
最後まで歯切れの良い仕事を
提供する事が一切出来ませんでした。
ただ、当時23歳⁈位だった私は、
めちゃくちゃ過酷な状態ではありましたが、
本番という形で準備していた事の発表の場が見れた事で、周囲の笑顔や、来場者の笑顔、めちゃくちゃ厳しく叱るラガーマンの広告代理店の方も「お疲れ!やり切ったな!」と声をかけてくれて、ホッとした共に、ある種の代え難い達成感を得ました。
そして、
イベントの多くの人の力が結集して出来る感じに
感動しました。
もっともっと周囲から信頼される
絶対的な安心感と、クオリティの高い、目的達成におけるプロのイベンターになると決意し、
そこから仕事に望む意識が大きく変わったような
気がします。
自分で言うのも何ですが
成長していくフェーズに入っていったような…笑
ちなみに、
運良く、翌年も同じイベントをご依頼頂く事が
出来たので、当然ながら前年の反省を生かして
死んだイカの目にならずに、やり切る事が出来ました。とさ。
おぢの昔話でした。
今日はここまで。
またすぐに。